２月２２日（月） 　昼前、アッパー・ダラムサラーにあるチベッタン・メディカル・センターへ行く。２時間ほど待たされて、やっとドクターに会うことができた。ドクターは外診に出かけていたらしく、帰ってくると今度は外来患者の診察が待っていた。診察と言っても、聴診器などを使うのではなく、患者の手首の脈診によって行われ、後は患者との対話によって与える薬を判断するようである。 　ドクター・デンジン・チョーダークは、インドの新聞に紹介されたことのある人物らしく、入口のところにデンジン氏の顔写真入りの新聞の切抜きが貼り出されてあった。このメディカル・センターへやって来た目的は、チベット医学の製法によって作り出された薬草のサンプルをできるだけ多く譲ってもらうことにある。これは、日本での用事のため、どうしてもダラムサラーへやって来られなかった漢方研究家ＴＡＫＥさんの依頼である。 　テンジン氏は、英語を話すことができないので、看護婦さんがラッキー氏とテンジン氏との通訳をつとめてくれた。テンジン氏は、温厚で実直な人柄を思わせる人物で、ラッキー氏がメディカル・センターへやって来た目的を話すと快く承諾してくれた。 　僕らがサンプルを分けてもらうために、２階の事務室と１階の薬倉庫を行ったり来たりしている間、事務室で働く人々はせわしそうに棚の埃りを払ったり、本を整理したりしていて、まるで大掃除でもやっているように見えたので、訳を訊ねると、やはりそうだった。２４日がチベットの新年にあたるという。とすると、今日２２日は、大晦日の前日になるわけだ。師走とはよくいったものである。年の瀬は、チベットの人々も我々と同じようにどこか浮き足立っている。 　事務室にいた女性が語っていたが、正月にはかなり盛大なチベッタン・フェスティバルが行われるらしく、今日ダラムサラーを後にした僕らにはとても残念なことである。２６日には、デリーかボンベイで、日本からやって来るＴＡＫＥさんを出迎えなければならない。そのためには、２４日にはデリーにいて、国際電話を打ち、空港の確認をする必要がある。もし、ボンベイ空港へ降り立つのであれば、僕らも急ぎボンベイへ向かわねばならず、後ろ髪をひかれる思いでダラムサラーを後にする。 　夕方４：３０、パタンコート行きのバスに乗る。ダラムサラーを出て、２時間近く行った路上で、４、５人の人影の中のひとりが、道路の中央に飛び出し、我々の乗ったバスに向かって、大きく両手を振り、バスを止めた。男は運転手の方へ走りよってきて、何事か興奮した様子でしゃべり始めた。僕は運転手の真後ろの席にいた。やがて男は胸のところで合掌をして運転手に一礼すると、バスの乗降口の方にまわりドアを開けた。乗降口をのぞくと木作りのタンカが道路端に置かれていて、その上に中年の男性が横たわっていた。よく見ると、足でも折ったのであろうか、右ひざのところに分厚くグルグル巻きに包帯がされていた。２、３人の男達の手によって、包帯を巻いた男性が僕の真後ろの席に運び込まれると、先ほど、バスを止めた男も乗り込んできて、また、わけの解からない言葉で運転手や乗客と話し始めた。窓の外にはケガをした男性の奥さんであろうか、運転手に向かい両手を合わせて哀願するかのように泣き叫んでいた。もし、奥さんであるとするならば、夫の身を案ずる故であろう。その女性の、なりふりかまわぬ哀しみの姿を見ているうちに、僕は突然、熱いものが込み上げてきて目をしばたかせた。 　しばらくすると、運転手も事情がのみ込めたのであろう。バスは以前よりスピードを増して、一路パタンコートへと向けて走り出した。 　今日２２日は、ヒンドゥの暦では祭日になっている。ダラムサラーで聞いたのだが、ヒンドゥの神々の中のひとり、シバの誕生日だという。包帯の男性とバスを止めた男はともに、アルコールの匂いをプンプンさせていた。インドの人々は、ふだんあまり大っぴらに酒を呑まないと聞いていたが、ひょっとすると、シバの誕生日を祝って、この日ばかりはとはめをはずした末に起きた事故なのかも知れない。デリーで結婚式の写真を撮りに行った時も、ウィスキーを呑ませてやるからと言われて連れて行かれたところは、薄暗い倉庫みたいな部屋で、まるで不良少年が親に隠れて煙草を吸っているような雰囲気が漂っていた。そんな彼らが、アルコールの匂いをプンプンふりまいているのだから、やはり今日はヒンドゥの人々にとっておめでたい特別の日なのであろう。 　１９：３０、パタンコート着。駅前のホテルに宿をとる。ルーム・チャージ、ツインで１５ルピー。明日、１８：３３の列車でデリーへ行く。

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